「人は自分のハートのコップを満たしたい。自分のハートのコップが満たされて、やっと溢れた分のハートを他の人に分けられる。」
この言葉は、uyuが看護師になって初期研修の講義で習ったもの。
「なるほどね。」と妙に腑に落ちた。
というのも、uyuはハートのコップがめちゃくちゃ大きいのか、はたまたコップに穴が空いているのかわからないが、いつも人からの愛に飢えていたのだ。
完全にこじらせている。
もらってももらっても満たされず、人に分け与えもしないのだから。当然のことながら、友達はおらず彼氏なんかできるはずもない。職場の先輩や上司に可愛がられることもなく、孤立していくと転職するを繰り返し、希薄な人間関係こそが自分を守る術であった。
だってはじめのうちは、社交辞令でみんな笑顔と優しさをくれるんだもの。飢えているuyuにとってご馳走でしかないよね。
しかし大人になるにつれ、さすがのuyuもこのままではまずいと感じ始める。
なんで自分はいつも満たされないのか?そんな疑問を持ち始めた。
・コップを満たすには、どうしたらいいの?
幼少期からこじらせ続けたuyuは、自己啓発本やモテる女子のためのHowTo本、心理学の本などを読み漁り自分の底辺自己肯定感を爆上げたいと日々悩んでいた。
「どうしたらみんなから愛してもらえる?」
「みんななんて贅沢は言わないから、たった一人の運命の人に出会うにはどうすべきなの?」
「そもそも人に愛される以前に自分で自分を愛すべきだろう。」
「いや。まず他人を愛してこそ自分を愛してもらえるのではないか。」
そして書物にはそれらしいことが書いてあり、その都度洗脳されたuyuは書いてある通りに実行した。しかし長年こじらせた底辺自己肯定感はピクリとも上がらず普遍。逆に方向性が違うのか、やり方を間違えているのか、更にひどくこじらせていった。
そして最終的にたどり着いた答え。それは。
・幸せを自家発電して、自分でコップを満たせばいい。
コミュ障こじらせuyuにとって、他の人と良好な人間関係を構築するのはハードルが高すぎる。貿易協定を結ばずして輸入は不可能。それならば自給自足する以外、uyuが生き残る道はない。
さて。答えはわかった。では、どうしたら幸せを自家発電できるのだろうか?新たな問題発生である。
そこで手にしたのが哲学書だ。人間の根源的な問いを明確にすることで何かヒントをもらえるのではないかと思い、結局最終的には書物に頼るのであった。
哲学書を読み進めて行くと、紀元前にはすでに哲学者がおり「相対主義」だ「無知の知」だと、現代社会でも聞き馴染みのある思想を述べている。
そこでふと感じたこと。
え?待って?紀元前から人の悩みは今の自分と同じで、それについて何千年も討論しているってこと?
哲学書を読んだuyuの素直な感想である。
そして、大層な先生方が考え抜いても答えが出ないことを、uyuが悩みまくったところでどうにもならないよね。と開き直る瞬間でもあった。
その後uyuは、落ち込むどころか気持ちがとても晴れやかになり身も心も軽くなった。
だって、何千年も前から同じ人類が自分と同じ悩みを抱え、生を受けた日から死ぬまで同じように懸命に生きていた。亡き先人たちの言葉が、今生きている自分の悩みと同じと知り、悩んでいることが無意味に思えて究極の答えにたどり着く。
どうせいつかは死ぬんだ。
だったら自分の意思で生きたもん勝ちだよね。
・自分にとって居心地の良い環境・大切な人・やりたいこと。それら全て自分の意思で選び取る。
「自分にとって」これが、究極の「幸せ自家発電」だ。
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